■ ピカリ〜ン!、自己信頼感、愛情に満ちた親しい場所。


なにかを知りたいとき、いくつもの声が同時に聞こえてくることがある。って、こんなオカルトじみた出だしで良いのだろうか起業ブログ。ニナコモダはあやしい事業体ではございません、念のため、たぶん。

この数ヶ月、自分自身の歯の治療について、少し悩んでいた。初めて行った近所の歯科で、矯正をすすめられたのだ。「余分な歯を抜いて、きれいに並べて…」
いや、べつに点数稼ぎの悪い歯科医さんではない、きっと。熱心だし、太めの快活な男性で、個人的に飲んだら楽しそうだ。そして私自身、ピカリ〜ン!な歯並びにも、やっぱり憧憬がある。兄嫁のカリフォルニアン・ガール一家なんて、兄も含めて、もちろんキラリ〜ン! だ(すごいお金がかかるそう)。それがアメリカで生きていくということのひとつの礼儀なのだろう。


それで読み始めた「こどもの歯を『治療・矯正』する前に」(内野博行)。こんなことが書いてあった。

皆さんもご存知のように私たちの体には自分で治す「自然治癒力」という巧妙なしくみがそなわっています。私たちの体の一部である歯も例外ではないのです。
歯ブラシやフッソに頼らないとむし歯になってしまう「か弱い歯をもつ私たち」という考えでなく、自然の摂理が許す範囲でほどほどに甘味を摂りながらもむし歯を防ぐことができる「巧妙なしくみをそなえた私たち」という、いわば自己信頼感にもとづく健康観をもつべきと私は思います。

こどもの歯を「治療・矯正」する前に (ジャパンマシニスト育児新書)

こどもの歯を「治療・矯正」する前に (ジャパンマシニスト育児新書)


そしてそれは、同時に読み進めていた「幼い子のくらしとこころQ&A」(内田良子)の「はじめに」に書かれていた文章と見事に呼応していた。

こどもは親が育てる存在ではなくて、みずからの力で育っていく存在です。親に求められるのは、こどもが育つ環境を整えることと、社会的・経済的に力をもたない時期を、保護者としてしっかりこどもを護ること、そして、失敗をともなう多くの経験をする機会をうばわないように心がけることではないでしょうか。

幼い子のくらしとこころQ&A―カウンセラー良子さんの

幼い子のくらしとこころQ&A―カウンセラー良子さんの


自分が訳した「うちの子 どうして食べてくれないの?」でも大きなテーマだった、自分とこどもを深く信頼するということ。近頃はなんだかまわりに「専門的知識」があふれているから、これがすごくむずかしく、だからこそ、すごく大切なことのような気がする。知識に煽られて、そして「よかれと思って」、つい、自分も専門家の視点で、歯やこどもや社会を「批評」「採点」してしまう。そこは本来、そういう客観的なことばが似合わない、愛情に満ちた親しい場所のはずなのに。

自分を振り返って、深く反省。


歯の件は、後日談がある。治療家の三宅安道先生に紹介していただいて訪れた、須磨のとある歯科。若かりし日はキャンプファイヤーがあればすかさずギターをかきならしていたであろう柔和な歯科医が、にっこり笑ってこう言った。「いまのままでとくに不都合ないんですよね。本人が審美的に矯正したいならべつだけど、そのままでいいんじゃないですか。僕は、『歯並びも個性だ』と思いますよ」

ああ私はこんなにもその一言を待っていた! 元気百倍、余分な歯を抜いて強い歯を残して正しい咬合に……ではなく、しばらくは、この個性的な面々とみんなで快適に生き延びる途を選ぶことにいたしました。(そのぶん、毎日しっかり歯磨きするぜ!)

歯も家族もこどもも、しっかりと自分で生きる力があるのだと、信じる。自己信頼感にもとづく健康観、家族観、社会観ってなんかあったかくていいなと、再確認。