◇ 広々とした沃野、見上げる輝く月


本年度、私は「寺子屋」に通っています。場所は、神戸市住吉の凱風館、内田樹先生の私塾。これが、「リベルタ学舎」のひな形でもあります。今週は、浄土真宗の僧侶・釈徹宗先生を迎えての特別講義「現代霊性論 ビヨンド」の第二回。

鈴木大拙の『日本的霊性』を、釈先生のオールラウンドに浩瀚な知識(本当にすごい!)や個人的な宗教的原風景(涙ものでした)を交えて読み進みながら、大拙が提起した「日本的霊性」がいま現在もつ意味を丁寧に考える、素晴らしい内容です。

その終盤、ハッとしました。ちょうどいま考えていた、「リベルタ学舎」のオラリオ後半の内容。具体的な構想は以下に記しますが、なぜそれらを必要と感じたのか、理由がわかったからです。


「リベルタ学舎」のオラリオの後半は、ワークショップ型の学びの時間です。
学校で、さんざん「自分固有宛てではない授業」「将来のために、いま我慢する授業」を受けているこどもたちです。このワークショップ型の学びの時間(ひとまずスペイン語で「アトリエ/共同作業/ワークショップ」を意味する「タジェール」と呼びます)の内容はその逆。「参加型」で、「その瞬間が楽しめるもの」です。

キーワードは、「他者」。なんだかわからないけど、そう決めていました。
ここに時間軸をとって「過去」と「未来」に伸ばせば、「過去」に「古典芸能(書、狂言など)」、「未来」に「身体運用」。距離を軸にすれば、「内」に「表現(絵画、歌、創作など)、「外」に「外国語」となります。わかりにくいですね。

<イメージ>

        身体運用
          ↑
        (未来)
          ↑
アート←(内)←【他者】→(外)→外国語
          ↓
        (過去)
          ↓
         古典


他者と出会い、他者を信じることのできる強靱さ(優しさでもあります)を涵養するきっかけとなる学び。タジェールが提供したいのは、そんな場です。


扱いにくくなってしまった肥大した自我を、どうしたら良いか。
今週のゼミの終盤にそんな話になったとき、内田先生が「所作や儀礼性になると思うんですよ。身体性に委ねるということ。これって、外国語の習得に似ているんです」と(いう内容のことを)話されました。

武道による「日常とは異なる」(※湯川補)身体運用の習得と、外国語という「日常とは異なる」(※同左)言語運用の習得。これらはいずれも、記号的に運用しているエトノセントリック(自民族中心主義)な文法からの離脱を可能にしてくれます。

身体や言語の「natural=自然な状態」が、変わってしまうのですから。

こうして別の「文脈」に身を置くことで、気づくのは、それまで自分がいかにローカルに縛り付けられていたのかということ。その気づきは、自分を閉じ込めていた狭い檻から自分自身を解き放つきっかけになるはずです。

複眼的な視座の獲得によって、世界は不可知であるという気づきを得、また同時に自分の卑小さを認識する。そこから、世界の奥行きに対する畏敬の念が生まれる……。


あっ、と思いました。
「世界に対する畏敬の念」の次に来るのは、「他者への敬意」であり、「知りません。教えてください」という、学びの起動だと思ったからです。
そしてこれこそが、リベルタ学舎が目指す学びの場としての機能なのです。

なんとなく、キーワードが「他者」だと思った。なんとなく、タジェールの内容を、身体運用、古典、アート、外国語だと思っていた。その理由が、一気につながりました。


現在、お話をさせていただいている「講師」さんたちというのは、これら「身体運用、古典、アート、外国語」の分野の方々です。
自分が知っているすでに「処理済」のことをこどもたちに教えるのではなく、自分もまたそれに魅了されて全身でそれを「生きて」いるマエストロが見ている広々とした沃野を、見上げる輝く月を、その世界の震えるような奥行きを、私たちに垣間見せてくれる、そういうワークショップを提供してくださる方々です。


ところでこのタジェールには、大きな、もうひとつの特徴があります。それは、親も参加可能(にしたい)ということ。
日常で、様々な「コード」の檻に閉じ込められて生きているのは、こどもだけではありません。いや、こどもはまだ、野生(ソバージュ)から生まれ出て間もないぶん、コード「外」のものに触れていきいきとした生を取り戻すのも比較的容易です。問題は大人……ですよね。

いみじくも前回紹介した「ライ麦畑のキャッチャー」お姉さんも書いたように(なんて理想が一致する私たち!)、「子どもにだけでなく、親にとっても、フラットな、外での装備を脱ぎ捨てて、在ることが出来る、第三の場的なもの」が、リベルタ学舎が目指すところです。親だって、(そんな学びなら)学びたい。ですよね?


というわけで、リベルタ学舎のオラリオの骨格をまとめると。

【前半・学童タイム】
 徹底的な信頼のなか、こどもが主体となり、こども同士で学びあい、育ちゆく時間です。親は立ち入り禁止。


【後半・タジェール】
 「世界ってすごい!」を身体性を伴うワークショップで感じる時間。主体はあくまでこどもですが、親も一緒に学べる場。


意外と「親の方ができないこと」も多いはずです。毎日、誰もが最後に帰るのは家。夕餉の食卓で、お風呂で、それまでとは違う種類の朗らかな笑いが生まれることを、私たちは願っています。


Gracias,
湯川カナ