◇ 一生ものの、贈りもの


前回の「開校宣言」に、twitterで驚くほどたくさんのリアクションが! ジョン・レノンがbut I'm not the only oneと歌った気持ちもかくやと、震えています。感謝感謝です!


今年の夏、「教育」を考えるうえで、大きな出会いがありました。場所は、ジャパンマシニスト社の「夏合宿」。
ジャパンマシニスト社とは、「広告を一切載せない育児・教育雑誌」として全国に根強いファンをもつ「ちいさい・おおきい よわい・つよい」の出版元。初の刊行本が1989年の『超ウルトラ原発子ども』で、1998年にはオフィスごと東京から「脱出」した、きわめて勘の良い、そして愉快な出版社です。

スペインで素晴らしくラディカルな育児書に出会い、ぜひ翻訳して日本のママたちに届けたいと思い立ったとき、「あなたのところから、この本を出したい」と迷わず相談したのが、ジャパンマシニスト社でした。返事は、「この本は、うちが出さないと、どこも出さないと思いますから」OK。この、エコノミストやグローバリストが聞いたら卒倒するような理由をうかがったとき、やっぱり間違っていなかったと、本当に嬉しく思いました。こうして今年5月に出版されたのが、『うちの子 どうして食べてくれないの?』(カルロス・ゴンサレス著)です。

そんなジャパンマシニスト社が年に一度、2日間かけて行う編集会議が「夏合宿」。ゲストということで気軽に伺ったら、左隣は、このスペイン育児書に「ぼくが保証します」という最高の推薦文を寄せてくださった、小児科医の山田真さん。東大在学中の大学闘争から現在の福島のこどもたちの支援まで、一貫して差別的思想と闘い続ける、熱い熱い先生です。正面には『赤ちゃんのいる暮らし』(筑摩書房)など素晴らしい育児本の数々を書かれてきた小児科医の毛利子来さん。そしてなんと右隣は『子育ての精神医学』『こども、こころ学』などで大大大ファンの小児科医・精神科医の石川憲彦さん。

山田真先生、毛利子来先生、石川憲彦先生という私にとっての「育児界ゴールデン・トライアングル」の、まさかのど真ん中の席! ……という編集者の方々のあたたかなお気遣いのおかげで、2日間たっぷり、尊敬する大好きな先生方と言葉を交わす夢のような機会を、思いがけずいただきました。


この「夏合宿」でいちばん心に残ったのは、「こどもも大人も、『自己肯定感』が足りないのでは」という、石川憲彦先生の発言でした。地中海のマルタで研究生活をされた石川先生と、スペインで十年を過ごした私は、この点で非常に似た感覚をもっており、(ついでに打ち上げのときに石川先生の神戸の生家のすぐ近くに私が住んでいた偶然がわかったこともあって)、何度か同じテーマで話をさせていただきました。

ここに編集会議での、石川先生の発言のメモがあります。

Self Respect=肯定
↓ ↑
Self Esteem=(外部)評価にもとづく


発達障害:できるようになったことを「褒めてあげる」?→できなくなったとき、どうする。
※生きていることや、やっていること自体を認めないと、やっていけない。


メモなので正確に再現できていない可能性をお詫びしつつ、勝手な解説を。
日本の教育分野では、「自尊心」や「自己肯定感」は、"Self Esteem"の訳として考えられています。でも、ごく一般的な感覚として、「自尊心」や「自己肯定感」は"Self Respect"ではないでしょうか。いったい、このふたつの単語の違いはどこにあるのか。いま、辞書をいくつか引いてみます。

・respect:「尊敬すること。敬意を表すこと。価値を認めて心服すること。」
おお、心服しちゃう! ここには、第三者の関与はありません。
・esteem:「尊重、尊敬、好意的意見(判断)、評判」
少しわかりにくいのですが、原語のラテン語により近いスペイン語に訳すと、違いは明確。estima=「評価」。つまりesteemという単語のベースには、第三者による評価があります。スペイン語でrespectに相当するrespetoが「恐れ」という意味まで含むのと、大きな違いです。

"Self Esteem"を「外部評価にもとづく自己肯定感」、対する"Self Respect"を「(内発的な)自己肯定感」と訳してもいいのかもしれません。どちらが良い・悪いではなく、おそらく、どちらも必要なのでしょう(メモでも、矢印の往還があります)。
ただ、日本の教育界で「自己肯定感」というときには、ひとえに"Self Esteem"がイメージされている。そこには、「よく頑張って、できるようになった」への肯定的評価はあっても、「生きて在ることそれ自体」への心服=心からの尊敬が欠けているのではないか。
そういうことを、石川憲彦先生はおっしゃっていた、そしてその著作で繰り返しおっしゃっていると、私は考えています。


前出の、スペイン発育児書『うちの子 どうして食べてくれないの?』に、こんな文章があります。

(前略)…健康的な摂食行動というのは、内発的要因(空腹や喉の渇き)によって導かれるものであり、外発的要因(圧力、約束、罰、広告……)によって導かれるものではありません。専門家によると、過剰なダイエットや過食など、思春期や青年期の問題の多くは、乳幼児期に、「外発的要因」にしたがって食べることを学んでしまったことから生じるそうです。
お子さんに、一生ものの、贈りものをしましょう。カロリー表ではなく、お子さんが自分の必要性に応じて食べることを学ぶのを、どうか見守ってあげてください。

<Q.うちの子には一日何カロリー必要?/第四部「よくある疑問」より>


「食べる」という人間にとってもっとも基本的な行為のひとつは、内発的要因によって行われないと、「壊れてしまう」(かもしれない)。それは、ときには「生きていくために適切な摂食行動をする」という本能をすら凌いでしまう。

「自己肯定感」あるいは「自尊心」にも、同じようなことが言えるのではないでしょうか。前回書いた、「『私は私の意志でここにいて、これをしている、ということ』についての、深い深い信頼」(=自己肯定感)を、外部評価にもとづくesteemによって構築しようとしたとき、ひとは、「仲間と共同して生きる」という人間の本能をすら損なってしまう可能性を孕んでしまうような気がします。いわゆる「受験戦争」にどっぷり浸かってきた私が、あの地下鉄サリンの日、横たわる被害者の傍らを素通りしたように。


外部評価なら、社会のいたるところにあふれています。いまは赤ちゃんが産まれた瞬間、その子が、成長曲線のどこかの点となる時代。その後は言うまでもなく、「○ヶ月なのに、まだハイハイしない」と心配され、「小学校入学前にはこれだけはできるように」とチェックリストと比べられ、入学すれば成績や偏差値がつきまとってきます。
時代は変わります。外部評価は変わり続けます。それを教える場所なら、どこにでもあります。学校が、教えてくれることでしょう。

それとは違う、ほがらかな自己肯定感"Self Respect"を養う学びの場を、この新しい「リベルタ学舎」は目指そうと思います。時代がどんなに変わっても、価値観がどんなに変わっても、しっかりと自分の足で立ち、ゆったりと微笑み、危機に際してはサッと隣人に手を差し伸べられる。「人間性」を基礎づける、自分自身への深い深い信頼を涵養する場。

カルロス先生の言葉をお借りすると、こうなります。


「お子さんに、一生ものの、贈りものをしましょう。成績表ではなく、お子さんが自分の必要性に応じて学ぶことを学ぶのを、どうか見守ってあげてください。」


これから作るリベルタ学舎が、そんなあたたかな学びの場になるよう、こどもたちに「一生ものの贈りもの」をできる場になるよう、心から願っています。
よろしければ、どうぞ引き続き、お力とお知恵をお貸しください。


Gracias.
湯川カナ

◇ 開校宣言!


8月29日、大阪の相愛大学で3日連続で行われる内田樹氏の集中講義の初日。開始から20分ほど経ったときです。具体的に何の話をしていたのか覚えていませんが(内田先生、ごめんなさい)、目の前の霧がパーッと晴れたような気分になりました。講義ノートの余白に、「こんな学童」という、謎の書き込みが。

ノートを見ると、フランスの文化人類学者・クロード・レヴィ=ストロースの著作『野生の思考』に登場する「ブリコルール」という概念の説明中だったよう。「ブリコルール」とは「先験的な知」であると、内田樹先生は、著作やブログで何度も紹介されています。

30年間ずっとブリコラージュのことを考えてきた。そして、ブリコルールたちは『先駆的な知』のたいせつさを教えているのではないかと思うに至ったのである。...(中略)...『どうふるまってよいか』を指示するマニュアルがない状況でも、『どうふるまえばいいか』を先駆的に知ることはできる。できなければ生き延びることはできない。
「ブリコルールの心得」・内田樹の研究室 http://blog.tatsuru.com/2009/08/18_1001.php


3年前の文章をいま読み直しながら、いま、あらためてその預言性に驚いています。ウェブに掲載されているのでできれば全文参照していただきたいとエクスキューズしつつ、すごく乱暴につまみ食いして紹介すると、文章は、こう続きます。

いきなり大地震に遭遇するとか、ハイジャックに遭うとか、ゴジラの来襲に逃げまどうというような状況については『こういうときはこうふるまいなさい』という指示は存在しない。真に危機的な状況というのは、『どうふるまっていいか』についての実定的な指針が示されない状況のことである。けれども、それを生き延びなければならない。...(中略)...私たちの時代の子どもたちが学ぶ力を失っているのは、彼らの『先駆的に知る力』が破壊され尽くしたからである。


この文章の翌月、私は3歳になる娘の手を引いて、スペインから十年ぶりの日本に帰国しました。それから3年、私たちは本当に「いきなり大地震に遭遇」し、「ゴジラの来襲に逃げまど」って(水爆実験の結果生まれたゴジラは、繰り返し原発を襲って)います。政治も経済も、「真に危機的な状況」といってもいいのかも、と思うようなありさま。「けれども、それを生き延びなければならない」。

現在の教育システムではなかなか涵養することができないと思われる、「外部的評価にもとづくのではなく、生き延びるための直観−先験的知」や「弱い者と共同してみんなで生き延びるという基礎的な人間性」を養う朗らかな学びの場を、作りたい。いや、いますぐにも、作らなければならない。そんな思いが、ノートの余白の「こんな学童」という書き込みには込められていました。



翌日、「こんな学童」に、仮の名前をつけました。
「リベルタ学舎」
学舎はまなびや、寺子屋のようなイメージです。
そしてリベルタはLibertad、スペイン語で「自由」を意味します。


1975年、つまりほんの37年前まで独裁体制下にあったスペインの心ある友人知人たちは、人間性を基礎づけるのは、時代によって変遷する「社会性」や為政者の都合で書き換えられる「正しさ」などではなく、個々人の「自由」に他ならないと、臍を噛むような思いで、そのぶん固有の勁さで信じ、日常のあらゆるところでそれを守り抜いていました。

出世や昇給や消費行動における「得」などという「利益」をどれほど呈示されても、「自由」だけはけっして手放さないという矜持が、彼らにはありました。もちろんそれは、いろいろなところで「マイナス」にもなります。指示に従わない、列に並ばない、時間を守らない、すぐ文句を言う、「常識」が通じない……。

これらはたとえば、効率的な大量生産、そのために雇用者をいかに効率良く働かせるかということを第一に考える工場や会社の労働者としては、「困ったこと」になります。そのかわり、個々人の人間性は、誰に指示されたものでもありません。

2004年にマドリードで列車同時爆破テロが起こったとき、たまたま現場近くにいたタクシーは「これは大量の怪我人の搬送が必要になる」と各々が一斉に現場のアトーチャ駅に向かってそれぞれ無償で病院へ搬送し、またニュースで一報を知った市民は「これは大量の輸血が必要になる」と各々が献血に駆けつけました。それは、私には、驚くような光景でした。

今日の昼休みには、州内の病院や大きな広場で、献血をしようとする市民の長蛇の列ができた。
一時間半待っている、というひともいた。友人が見ていたニュースでは、列の女性が、「今日は私は無事だったけど、明日はそうとは限らない。だから私は、できることをするの」と言っていたという。
今回の報道や、友人との会話を通じて、他人事じゃない、というのは、多くの市民が感じているのだと伝わってくる。たった4年間市民でしかない私でさえも、そうだ。
「3月11日のマドリード無差別テロについて」カナ式ラテン生活・ほぼ日刊イトイ新聞 http://www.1101.com/Latin/2004-03-12.html


もうひとつ、私がたまたま「現場の近く」にいた大規模無差別テロとして、1995年の東京地下鉄サリン事件があります。このときは被害者を乗せて病院へ搬送するタクシーがなかったという証言があり、また倒れ込んでひる人々のすぐ横を一顧だにせず早足で通り過ぎる通勤客のニュース映像が残っています。当時大学3年生だった私もまた、「なにか大変なことがあって倒れているひともいるけれど、とにかく遅れずに面接に行かなきゃ」と就職活動のために足早に通り過ぎたひとりでした。

いま(いや、気づくのが遅れたけれど本当はもっと前からだったのかもしれません)私たちは「『どうふるまっていいか』についての実定的な指針が示されない」、マニュアルのない時代に生きているようです。よく言われるように、ゴキブリの方が、生存環境が激変しても、しぶとく生き延びることができるのでしょう。でも、私たちは人間です。人間らしく、仲間とともに、生き延びていきたい。私にはできなかったそのことを、私たちのこどもには、できる人間になってほしい。
そのとき「咄嗟の人間性」を基礎づけるのは「自由」についての、「私は私の意志でここにいて、これをしている、ということ」についての、深い深い信頼ではないかと、ふたつのテロの現場にいて感じるようになりました。


学問の分野に、「リベラル・アーツ」ということばがあります。この「リベラル」は、「ひとを自由にする」という意味だそうです。それを学ぶことで奴隷ではなく自由人となる教養。「リベルタ学舎」では、めまぐるしく変わりゆく政治や経済や社会の「奴隷」となるための勉強ではなく、マニュアルなき時代を「自由人」として感度良く、人間性豊かに、朗らかに生き延びていくための学びの場を作りたいと思います。


2013年4月、神戸に開校する、こどもを対象とする「学びの場」。仮称「リベルタ学舎」。

いまのところ、決まっているのはそれだけです。これから全力で、準備を進めます! くわしくは随時、こちらのブログでお知らせします。よろしければ、のぞいてみてください。

そしてよろしければ、あなたのお力を、お知恵を、ぜひお貸しください。


湯川カナ

■ ニナコモダ、夏の総決算

7月11日の神戸新聞夕刊「悠々私的」で、私を紹介していただきました。お題は「趣味」。答えは「麻雀」。こんなしょうもないテーマでの取材を、とても素敵な記事にしていただきました。「人生は未決定だからこそ楽しい、麻雀をつうじて繰り返しそのことを確認したいのかもしれません」とも話した気もしていて、それが自分ではとても気に入っているので、ここに記しておきます。

この記事が縁でお声をかけていただいたラジオが、9月上旬に収録・放送予定。詳細がわかりましたら、またご報告いたします。


そして、末席を汚している神戸商工会議所発行の「神戸商工だより」8-9月号の「推しメン」でも、NINACOMODAとバロネッティ・シームレスキッズインナーを大きく紹介していただきました。

文中にもありますが、現在、OEMでのビジネスも順調に展開中です。また小売りの方では、大好きなショップとのコラボレーション企画が進行中。まだ具体的に書けないことばかりで申し訳ないのですが、9月に、そのショップのイベントで店頭販売をする案があります。詳細がわかりしだい、ご報告いたします。


という忙しい夏でしたが、7月中旬、5歳ムスメが「あのね、お願いがあるの。一日だけ、いちにちだけでいいから、『なつやすみ』がほしいの……」と消え入りそうな声で言うもので(保育園には夏休みは存在しません。台風が来ても閉まりません)、できるだけ「夏休み」もしました。

最後が、先週末に訪れた、兵庫県竹野海岸日本海で泳いだのは初めてでしたが、まあなんて綺麗な海! 素敵なビーチ!! 本当に大好きになったので、できれば今後の「夏休みの定番」としようと思います。あとは、ムスメがいつまで家族旅行につきあってくれるか、ですねー。

■ ピカリ〜ン!、自己信頼感、愛情に満ちた親しい場所。


なにかを知りたいとき、いくつもの声が同時に聞こえてくることがある。って、こんなオカルトじみた出だしで良いのだろうか起業ブログ。ニナコモダはあやしい事業体ではございません、念のため、たぶん。

この数ヶ月、自分自身の歯の治療について、少し悩んでいた。初めて行った近所の歯科で、矯正をすすめられたのだ。「余分な歯を抜いて、きれいに並べて…」
いや、べつに点数稼ぎの悪い歯科医さんではない、きっと。熱心だし、太めの快活な男性で、個人的に飲んだら楽しそうだ。そして私自身、ピカリ〜ン!な歯並びにも、やっぱり憧憬がある。兄嫁のカリフォルニアン・ガール一家なんて、兄も含めて、もちろんキラリ〜ン! だ(すごいお金がかかるそう)。それがアメリカで生きていくということのひとつの礼儀なのだろう。


それで読み始めた「こどもの歯を『治療・矯正』する前に」(内野博行)。こんなことが書いてあった。

皆さんもご存知のように私たちの体には自分で治す「自然治癒力」という巧妙なしくみがそなわっています。私たちの体の一部である歯も例外ではないのです。
歯ブラシやフッソに頼らないとむし歯になってしまう「か弱い歯をもつ私たち」という考えでなく、自然の摂理が許す範囲でほどほどに甘味を摂りながらもむし歯を防ぐことができる「巧妙なしくみをそなえた私たち」という、いわば自己信頼感にもとづく健康観をもつべきと私は思います。

こどもの歯を「治療・矯正」する前に (ジャパンマシニスト育児新書)

こどもの歯を「治療・矯正」する前に (ジャパンマシニスト育児新書)


そしてそれは、同時に読み進めていた「幼い子のくらしとこころQ&A」(内田良子)の「はじめに」に書かれていた文章と見事に呼応していた。

こどもは親が育てる存在ではなくて、みずからの力で育っていく存在です。親に求められるのは、こどもが育つ環境を整えることと、社会的・経済的に力をもたない時期を、保護者としてしっかりこどもを護ること、そして、失敗をともなう多くの経験をする機会をうばわないように心がけることではないでしょうか。

幼い子のくらしとこころQ&A―カウンセラー良子さんの

幼い子のくらしとこころQ&A―カウンセラー良子さんの


自分が訳した「うちの子 どうして食べてくれないの?」でも大きなテーマだった、自分とこどもを深く信頼するということ。近頃はなんだかまわりに「専門的知識」があふれているから、これがすごくむずかしく、だからこそ、すごく大切なことのような気がする。知識に煽られて、そして「よかれと思って」、つい、自分も専門家の視点で、歯やこどもや社会を「批評」「採点」してしまう。そこは本来、そういう客観的なことばが似合わない、愛情に満ちた親しい場所のはずなのに。

自分を振り返って、深く反省。


歯の件は、後日談がある。治療家の三宅安道先生に紹介していただいて訪れた、須磨のとある歯科。若かりし日はキャンプファイヤーがあればすかさずギターをかきならしていたであろう柔和な歯科医が、にっこり笑ってこう言った。「いまのままでとくに不都合ないんですよね。本人が審美的に矯正したいならべつだけど、そのままでいいんじゃないですか。僕は、『歯並びも個性だ』と思いますよ」

ああ私はこんなにもその一言を待っていた! 元気百倍、余分な歯を抜いて強い歯を残して正しい咬合に……ではなく、しばらくは、この個性的な面々とみんなで快適に生き延びる途を選ぶことにいたしました。(そのぶん、毎日しっかり歯磨きするぜ!)

歯も家族もこどもも、しっかりと自分で生きる力があるのだと、信じる。自己信頼感にもとづく健康観、家族観、社会観ってなんかあったかくていいなと、再確認。

■ 起業1年、出版、わぃわぃ。

ご無沙汰いたしました。「便りがないのが元気な証拠」はたぶんこどもだけで、事業としては果たしてどうなのでしょうか。(しかもいきなり、「頼りがない」と変換されるという心許なさです)

先月の2012年5月、おかげさまで、NINACOMODAはぶじに起業1周年を迎えました。まるでそれを待っていたかのように、イベントが続きました。



◇5月10日、『うちの子 どうして食べてくれないの?』(ジャパンマシニスト社)発売

うちの子どうして食べてくれないの?―授乳から幼児食まで…親子関係のバイブル

うちの子どうして食べてくれないの?―授乳から幼児食まで…親子関係のバイブル

:何度かこのブログでもご紹介してきた、私がスペインで出会ってすごーく楽になり、ぜひ日本語版をと熱望した本が、ついに発売になりました。佐々木いずみさんという素晴らしいチェッカーを得て、心を込めて、翻訳を担当させていただきました。すごく良い本です。じっくり訳した私が言うから間違いありません。小さいこどもとニコニコ過ごしたいママさん、パパさん、ぜひ騙されたと思って読んでみてください。

NINACOMODAウェブショップでも扱っています。1冊から送料無料で、(不必要でしょうが)訳者直筆メッセージカードつきです。
http://ninacomoda.shop-pro.jp/?pid=42979897



◇5月19日、神戸新聞(朝刊/地域経済面)に、ニナコモダ/バロネッティの紹介記事掲載

:7月より本格販売、小売店での取り扱いも始まるということで取り上げていただきました。



◇6月4日、日経流通新聞(MJ/新製品面)に、ニナコモダ/バロネッティの紹介記事が写真付きで掲載

:同じく商品の詳細を取り上げていただきました。



◇6月6日、ラジオFMわぃわぃ出演。
http://www.ustream.tv/recorded/23114512
(開始後16:30くらいからのコーナー)

:『うちの子 どうして食べてくれないの?』の話を、ラテン式育児法というテーマでさせていただきました。




そして本日、本を片手にミシマ社さんの本屋さんを訪れて、三島邦弘さんとスタッフのみなさんとしばしお話〜。すっかり歓待していただきました。三島さんは、「出版界の常識」というか「固陋」というか「因習」を離れて、シンプルに、作りたい本を作り、読者さんに手渡しする方法を、ひとつずつ丁寧に実現されている「日本出版界の宝」(内田樹さん)。

誰でも立ち寄れるミシマ社の本屋さんは、謎の古墳に囲まれた、穏やかな光景のなかにあるおうちです。
http://www.mishimaga.com/gekkanjouyou/006.html

『うちの子』を一冊、「置き本」してきました。もしお近くに行かれることがありましたら、ぜひご利用ください!

そして、ミシマ社の最新刊を購入。

小田嶋隆のコラム道

小田嶋隆のコラム道

この本のことばと、書き手への圧倒的な愛情に後押しされて、このブログを再開しました。

まだまだ試行錯誤が続く2年目ですが、よろしければ、どうぞ見てやってください。


湯川カナ

■贈与、ラヂオの日々、笑顔に自信。

経済活動の起原は、贈与である。と、先週末も中沢新一さんの特別講義で聞き、また師事している内田樹先生からも聞いている。
なんて話を持ち出さなくても、そこに困っているひとが、こっちにその時たまたま余裕があれば、手を差し伸べるってのが人情ってやつでぃ。
というわけで、月に1回、被災地にママ友レベルの小規模支援を行っているmamatomoda!

初回の8月はぶじ、目標数の5個を大きく上回る8個の蚊帳を送ることができ、南三陸町馬場中山地区と、お隣の志津川地区の、赤ちゃんのいるご家庭に届けることができました。→報告のページ

9月は、紙オムツ20パック(テープタイプ10パック&パンツタイプ10パック)、中古のベビーカー2台、などです。もしよろしければ、ぜひ現地からのメールをごらんください。→支援予告現地からのメール


ところでこのところ3週連続で、ラジオに出させていただいています。神戸のコミニュニティ放送局FMわぃわぃの「まちはイキイキきらめきタイム<水曜日>」。
8月31日は、友人で元FM COCOLOのパーソナリティー、ちづさん&同じくペルー出身パーソナリティーのロクサナさんと。(当日の様子
9月7日は、友人で、震災直後から何度も現地に行って支援を続ける、EINSHOP義援隊隊長・岡本篤さんと。(当日の様子
そして本日9月13日は、大好きな知人で、重度の障害をもつお嬢さんを育てられた銅版画家の山口ヒロミさんと出ます。

FMわぃわぃ: http://www.tcc117.org/fmyy/index.php
サイマルラジオ: http://www.simulradio.jp/
Ustream: 過去の放送も視聴可/http://www.ustream.tv/channel/fmyy
本放送:12:00〜12:55、再放送:21:00〜21:55


本業も、しっかり頑張っております。今月中に、スペイン製シームレスキッズインナーに続く新商品を、ウェブショップでも取り扱い開始! 今回も、「笑顔」に自信ある、赤ちゃんグッズです。すでにお手元に届いたママから、うれしい感想が続々と。またあらためて、ご案内させていただきます。

では、ラジオ、行ってきます!

■ 構想16ヶ月、帰国から21ヶ月、25年間。

今週7月21日、夏休みの初日、NINACOMODAのウェブショップがオープンしました。これで「立ち上げ」系は一段落、かな。大型台風も通過したし、一昨年の帰国からを、ざっと振り返ってみちゃいます。


【2009年】
9月
:鳩山総理就任の日に帰国。和歌山から神戸の起業支援施設SOHOプラザへ相談に。
同月
:神戸の某不動産店で、「外国居住が長く賃貸契約の当事者になれない」と宣言され、涙。別の不動産店のNさんが奔走してくれて、当日即決。
10月
:神戸市東灘区、住吉川近くに転居。
11月
:ムスメを和歌山に預け、SOHOプラザ「創業セミナー」出席。事業計画書を書いてみる。
12月
:ムスメ3歳、保育所へ。日本語がまだ怪しく、「列に並ぶ」など日本人的行動が苦手。


【2010年前半】
1月
:同上「事業計画書作成セミナー」。自信満々でプレゼンするも、「アパレル未経験? 怖いなあ」と、中小企業診断士さんに本気で心配され、起業内容の見直し。
2月
:長屋に入れていただいていた内田樹先生と5年越しの初対面。主宰される甲南合気会への入門、甲南麻雀連盟への入会を許される。mamacomodaのアイディアが浮かぶ。
3月
:2年越しの夢、スペインの育児書の翻訳出版につき、大好きな某出版社から前向きに検討するとの返事。欣喜雀躍して翻訳に熱中。
4月
:引き続き翻訳。
5月
:上京し、出版社の方と初顔合わせ。出版決定の報。新宿ukabuカナ・ナイトで旧友いっぱいに再会し、本田美和子さん宅の美しい夜に黄金の星と三日月を見上げる。
6月
:今日的ウェブ作成を学ぶため、PCスクールに通い始める。編集ソフトも購入。


【2010年後半】
7月
:mamacomodaウェブ作成開始。
8月
:ギックリ腰。腰砕け。腰抜け。
9月
:「社長」、スペイン・バロネッティ社との交渉本格化。合気道合宿中に誕生日。
10月
内田樹先生の「クリエイティブ・ライティング」を聴講。
11月
:熊井博基デビューライブin粟国島
12月
:mamacomodaウェブ作り。編集ソフトは自習で。


【2011年】
1月
:5年越しの小説を書き上げたら584枚。
2月
:バロネッティ社の製品の日本総代理店契約、半年かかってようやく締結完了。
3月
:NINACOMODAウェブ作り。小説を約半分カットし、公募へ。
4月
:NINACOMODAで被災地のこども支援を決める。
5月
:灘区、海の近くに転居。mamacomodaウェブサイト公開(構想から16ヶ月)。
6月
NINACOMODAウェブサイト公開、メールで販売開始(帰国から21ヶ月)。
7月
NINACOMODAオンラインショップ公開。ムスメ、中央区保育所へ転園。出版社より、翻訳権正式獲得の連絡。もうひとつ、出版もからむ楽しい仕事を受注(たぶんまだ言っちゃダメだよね)。



さて、来月はどんなことがあるのだろう?
そして帰国2年になる9月には、どんな日を迎えるのだろう。


いまは、
毎日、楽ではない。初めての分野で、いちから勉強しながらやっている。
毎日、ヒマだ。注文が次々と舞い込むわけではまったくない。
毎日、忙しい。足りないところや問題点が、どんどんわかってくる。
毎日、お金のことを考えてしまう。ぜんぜん赤字だ。
毎日、一瞬だけ夢を見て、あとは現実を見る。やれることを順番にやっていく。
毎日、一瞬だけ深淵を感じて、あとは現実を見る。やれることを順番にやっていく。
毎日、感謝する。旧い新しい友人たち、合気道や麻雀の「仲間」や「先生」、「ほぼ日」時代からの読者さんが、いっぱいいっぱい支えてくれる。


明日も、うん、頑張ります! 生き延びていれば、いつかなんとかなるだろう。(「生き延びている」のがすでに、「なんとかなっている」ことなのだもの)


そういえば、10年遅れで掘り出された、西諫早小学校6年時に埋めたタイムカプセルの作文。開いたら、12歳の私からのメッセージが:

「とにかく、生きていたらべつにいーです」

……言うこと、25年間変わってなかったか、オレ。




【今日の「社長」】 ウェブショップ(ほとんどテンプレートいじってないのに、5週間かかった……)を作ったASPの管理者画面を見て、在庫管理までしてくれることに「これ、信じてええんかなあ」と少々悩む。




▽リファレンス

イルストラード (エクス・リブリス)

イルストラード (エクス・リブリス)

・いちばんの「旧友」、中野学而くんによる初翻訳出版は、マン・アジアン文学賞受賞作品『イルストラード』(ミゲル・シフーコ)。フィリピンの現代と異邦人の故郷への帰還を、夏目漱石こゝろ」的時間の往還の中に描く意欲作。ひろびろと複雑で、マニラ的に生成的で、本当に素晴らしい小説。透明な、全方位に気配りをしながら破綻を内に秘めた中野学而の文章も、最高。グッジョブ!


最終講義?生き延びるための六講 (生きる技術!叢書)

最終講義?生き延びるための六講 (生きる技術!叢書)

・あの日の内田樹先生はすごかった。その直前の「クリエイティブ・ライティング」最後の授業も、先生の身を呈した「教え」に、震えが止まらなかったけれど。すごい瞬間に立ちあえてしまった幸福に、感謝。なんとかこの「パス」をまわさないとなあ。