■ 入会規則:てぶら、二代目の喜劇、ブッサンナンパ。

P&G--失うことで得る、ラテン式人生のすすめ』という題で、獨協大学の文化祭で講演をさせていただいたことがある。P&Gはあの「アメリカ合衆国に本拠を置く世界最大の一般消費財メーカー」(@wikipedia)、ではなく、「プロテクト・アンド・ギャンブル」という造語……というか、ただの語呂合わせ。「守る、そして賭ける」というのがテーマ、だといえば、いえるけれど。

要は、「お前さんが後生大事にしているその人生観なんて、微塵に吹っ飛ばされちまうような経験、若いうちに一度してみたらよろし。」という話だった。(それを90分もさせていただいた。ご関係者の皆様、ありがとう) まあ、私が話せることなんて、「まー、むちゃむちゃやっても、そうそう人間死ぬもんちゃいまっせ」くらいだからして。(いま気づいたが、「むちゃむちゃ」の後に「な子育て」を入れ、「人間」を「赤ちゃん」に変えたのが、「私の話せる」唯一の、もうひとつのことなんだな。)

ちなみに私の人生でいちばん大きな転機は、自分が生まれたことを除くと、おそらくYahoo! JAPANという「約束された」会社を辞めたことだった。その後約半年の失業生活中に『カラマーゾフの兄弟』を読みながら(読み終えた記憶はないんだけど)、ひとつ、こころに誓ったのだ。恥をかく側の人間になろう、と。安全な場所から涼しい顔で批評する人間ではなく。
それが、「単語ひとつも知らないスペインに移住すること」であり「文章を書くことをなりわいとすることでもあった。なので、いま、36の手習いで恐れ多くも内田樹師範の率いる合気道道場にのこのこ入門して、36年間積み上げてきた「どーしよーもない身体」を臆面もなく晒したって、ま、なんとか死なずに「ワーイ今日も練習行けるぞ!」と毎週ウキウキできている。

「俺には合気道なんて必要ないさ」(それは「移住」でも「転職」でも「外国語の勉強」でも「家事」でもなんでもいいが)と言った瞬間、そうやって「守った」瞬間に、おそらくひとは、返す刀で未来の(つまり「未知」の)自分をばっさり切っている。いや、いいんだけどね、べつに。そのことでじつは自分を侮蔑してしまっていたり、ついでに他人を批判したり、やっかんだり、あるいは近所で愚痴を垂れ流したりするのでなければ。
とにかく、思いのほか「守り」に入っている学生さんたちに、「お嬢ちゃんたち、じつはこんな世界も、あるんやで〜」と、精いっぱい悪い顔して言ってみたのでした。「来るんやったら、てぶらで、おいで」と。「失うものがあるなんて思うとるから、話がややこしなるんや」と。しかしいま思うと、「入会規則:てぶら」って、まるでキリストじゃないか。オー、コワ。


なぜそんなことを考えたかというと、スペインで「情熱とサッカーボールを抱きしめ」っぱなしの同級生盟友・佐伯夕利子の新着ブログ『スポーツ後進国 日本』を読んだから。ぎょっとするこのタイトルは、清水宏保のコラムのものらしい。ちなみにスポーツ選手を、「ちゃんとした日本語が使えるひとと、そうでないひと」に分けると、夕利ちゃんは、素晴らしく前者だ。18歳から外国、しかも日本語環境の整っていないスペインにいて、これは奇跡に近い。(なおスペイン語も、私が仄聞した分も含めて確信をもって言えるのだけど、その発音込みで、日本語同様に正しく美しいです。意外に(?)くだけた若者語も流暢よ)

今回のコラムで彼女は、「一番危険なのは、何となく自分達が『いけちゃってる』ような気になっている、その錯覚であると私は思っている。」と指摘する。それに深く頷き、ついで顔を上げる動作のときに思った。ああ、これは、スポーツに限らないな、と。スペインに10年いて、なんだか「在スペイン邦人」でも古株のほうになってきて、いろいろなひとがスペインにやってくるのを、ぼーと見ていた。年を経るほど(それは相手側のせいかこちら側のせいかわからないけど)、「なんとなく自分が『いけちゃってる』ような気になっている」若者が増えてきたなあと、感じていた。

いちばん違和感があったのは、「日本人である自分」を、『いけ』感の拠り所にしているなと感じられたときだった。ちょうど小泉ブームとかで、「知らずに右」寄りの思想になっていたのかもしれない。あるいは「NOと言える日本」(1989年刊)がもてはやされた時代の空気を吸って育ってきたからだろうか。ほんの50年前、ジャップはアメリカで安物のブリキ玩具を必死で売ってバカにされてただよ。ほんの数十年前、日本からの移民の仕事といえば、洗濯屋か果樹園での労働か、あるいは政府に騙くらかされた農地を死に物狂いで開墾するしかなかっただよ。それら先人が築いた「日本人=勤勉、礼儀正しい」という遺産を、私らはすごい速さで使い果たそうとしている。二代目ってまあそんなもんだけどさ。

「日本人である自分」を誇らしいと思っているひとが、ちょっと困るのは、「チノ/チナ(狭義で中国人、広義でアジア人。文脈によって侮蔑的感情を含みやすい傾向がある)」と言われたとき、激昂することだ。「あいつらと一緒にしないでくれ」ということだ。その理由は、かの国の政体だったり、経済的劣位だったり、この土地での無責任な評判の尻馬にのったものだったりする。その同じやり方で、日本人もまた、長らくバカにされてきたことを、彼らは知らないかもしれない。同じやり方で、日本人もまた、今後バカにされる可能性があることを少しでも想像する、努力というか謙虚さが足りないのかもしれない。「君がそう思われたらどうなんだ」ということね。

日本に帰国してみると、どうも、「日本人=いけちゃってる」感が、あらゆる場所に蔓延している。びっくりした。オリンピックの前に選手を過大評価し、およそ「努力目標」としか思われないメダル数を「予測」し、メダルの取れなかった選手が「国民の期待に応えられず申し訳ない」と通夜のような顔して詫び、みんなが「だから、○○国みたいにやんなきゃダメなんだよ」(○○には当節流行の国名を入れてください)と言い合い、でもちょっとしたらすぐに忘れて、「内輪ネタ」で盛り上がる。いや、なんとも平和なんだけどね。


かつて大学時代の友人ヨシイ(元気かー?)は夜の六本木で、名刺を高々と掲げて「オレ! 物産!」とナンパしているリーマン(当時の用語にしました)を見かけたと言っていた。(私は、「え、『ブッサン』ってなに?」と思い、でもその「わからなさ」を顔には出さなかった。田舎者だったのさ) あまりにできすぎた話だけど(ヨシイは、「カテキョー先のお母さんの口から回虫がアラアラアラってどんどん出てきたの!」とかも言っていた)、もしそれがいくらか真実だとしたら、当時、「物産」の内部のひとはなんとなく「物産のオレってイケちゃってる」と感じていて、その価値観を共有する「世間」も、一部周囲にはあったのだろう。

どうも一部(という語感よりは多めの)日本人が、外国の、たとえばタイムズ・スクウェア前でもいいしチュニジアの岩砂漠でもいいのだけど、今日もどこかの外国の辻で、「日本人」という名刺を高々と掲げて、「オレ!」と無邪気に笑っている、という光景が、目に浮かんでしまう。日本でやってるならいいんだけど、世界には「国の政体(これだって日本は去年まで実は『世界三大戦後長期独裁国』と言われてた事実があるのだけど)」や「経済的優位性」には関心がないひともいる。スポーツの分野なんて、なおさらだろう。だから逆に、リーガへの日本人移籍が囁かれるたび、逆に、「ああ、あのチーム、ジャパン・マネーが欲しいんだね」とみんなが思ったりするのだ。これは(可哀想にも)日本人サッカー選手だからというだけで。

ああ、あと、「日本人」名刺にびびっと反応する、しすぎる奴らも、いるのでした。なので、もしもお近くに「海外に行こうとしている、無邪気な日本人」がいたら、一言声かけといてください。あんまり日本日本言うとったら、首絞め強盗が飛んできまっせ、と。



【今日の「社長」】 甲南麻雀連盟入会が決まり、昨夜はひとり遅くまでNSPをやっていた。ちなみに私が合気道のあいだ、娘を近所の複数の公園に連れて行くと、出会った6組の親子がすべて「父親と子ども」という組み合わせだったらしい。「みんな、おかんはどこへ行ったんや!」 あ、うちもか。ありがとありがと。


▽リファレンス

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

・これと『ユリシーズ』は読み終えた記憶がない。広辞苑ぜんぶ読んだのに。


情熱とサッカーボールを抱きしめて (Book of dreams)

情熱とサッカーボールを抱きしめて (Book of dreams)

・著者はどーでもいいので、佐伯夕利子を知ってください。惚れるよ。なお出版時はアトレティコ・デ・マドリーの女子部でサテライト監督だったけど、その後、バレンシアCF強化執行部セクレタリーを経て、2008年9月より「スペイン随一の健全でフレッシュな強豪クラブ」ビジャレアルCFに所属、現在はユースAチームのコーチングスタッフを務めてます。すごい。佐伯夕利子公式ブログ:「PUERTA CERO