◇ リベルタ学舎、出発!


リベルタ学舎ホームページができました。
http://www.libertad-school.com/



「こどもとおとなが自由を学ぶ」リベルタ学舎、みなさんの夢をのせて、ついに始動です!


初回、2013年度第一学期にワークショップを担当してくださるみなさんです。


▽月曜【合気道(凱風館・少年部)】
・凱風館・合気道少年部(内田樹師範)でのお稽古です。


▽火曜【外国語でオペラ(濱粼加代子講師)】

・ソプラノ・オペラ歌手の濱崎加代子さんを講師に迎えて、イタリアやドイツ語など、外国語で歌います。


▽水曜【ダンスな身体運用(湯浅和海講師)】

舞踊家合気道家の湯浅和海さんと、「踊ることの一歩手前に」をテーマとした身体運用を行います。


▽木曜【美術制作(山本浩二講師)】

・抽象画家であり美術教育者でもある山本浩二さんの指導で、美術制作のワークショップを行います。


▽金曜【狂言(善竹忠亮講師)】

能楽師の善竹忠亮さんの導きで、日本の古典芸能・狂言を演じます。



前半の自由学童は、シニアチューターの岡山亜里咲・合気道二段が笑顔で支える、「こどもたちの夢の国」(仮題)です。



場所は、JR住吉駅から徒歩2分です。



その他、理念やスクールのしくみなどを詳しくご紹介するウェブページができました。よろしければご覧くださいませ。

http://www.libertad-school.com/




開校記念イベントも決定しました!
このブログでも何度もご紹介した児童精神科医の石川憲彦さんを迎えて、「発達障害!? みんなで生きる『場つなぎ』方法論」というセミナーを開催します。

文科省の調査によると、いまや10人に1人が「発達障害」と言われ、特別な支援が必要とされます。
もちろん、病気の理解が深まるのはいいことです。でも実際には、発達障害だからと脳の未発達な未就学児から向精神薬が処方されたり、また特別支援教育から普通教育への移行は難しくなっていたりと、「『普通』に戻す、戻れなかったら『分けておく』」という対応がとられがちです。
発達障害「ブーム」は、新たな社会淘汰ではないか。そう警鐘を鳴らす石川先生に、お話を伺います。後半は、たっぷり質疑応答の時間を設けました。

3月24日午後2時から、芦屋市民センターにて。
無料ですが、定員100名と限りがありますので、事前予約をお願いしています。(宛先 web@libertad-school.com )
お子様連れ大歓迎です。
詳細はコチラを。

「みんなで生きる『場』をつなげば、こどもは、自分たちでなにかしら見つけて、育っていく」。そう、こどもを徹底的に信じる石川先生の言葉を、リベルタ学舎のスタート地点に、忘れず刻み続けようと思います。




さて、昨日3月20日は、シニアチューターの岡山亜里咲さんと一緒に、ラジオFMわぃわぃにお邪魔させていただいていました。

FMわぃわぃのサイトより

「英語は3歳までにやっておかないと」
「正しい歯磨きって実はこんなん?」etc・・・

今どきのパパ、ママは溢れかえる子育て情報に不安になり、自信を失っていませんか?

ん?ちょっと考えて欲しいのです。

「こうあるべき正しい情報」なんて知らなかった私たちの親やその先祖、そして私たち。

フツーに子育てし、成長し、大人になってます。

もっと大切なこと。例えば子どもが自由に、しなやかに成長することって、こういった情報の影に隠れてしまっていないでしょうか?

『リベルタ学舎』は年長さんから小学生を対象とした学童保育の場。

ここでは「お受験、成績UP」に繋がることは教えません。

社会で活躍している多様な価値を持って活動しているプロフェッショナルを招き、お絵かき、オペラ(!)、狂言(!!)、そして合気道のワークショップなど、貴重な学びの場を子どもたち、親たちに提供します。

こんな学童 『リベルタ学舎』。これからの展開が楽しみですね!


まもなくUsteram動画配信分がアーカイブされますので、またご案内いたしますね。



リベルタ学舎に、たくさんの共感、声援を、いただいています。
頑張ります!


ファシリテーター・湯川カナ

◇ 再び、開校宣言!!


こどもと親が「自由」を学び、生きる知恵と力を高める場。いま準備中の「リベルタ学舎」を着想したのは8月29日でした。
相愛大学での内田樹先生集中講座の初日で、ゲストが独立数学者の森田真生さんの日。「天啓」の興奮冷めやらぬまま、打ち上げの席で、内田先生と森田さんに「私も、こどものための『そういう場』を作ります!」と宣言したことを、あの身体中の細胞が沸騰していた感覚を、鮮やかに覚えています。

その後、幸いにもリベルタ学舎には多くの力をいただき、考えられないくらい素晴らしい講師陣も決まり、いま、最後の調整とウェブの仕上げをしているところです。
そんな今日2月10日、治療家・三宅安道先生主催のセミナーで、久しぶりに森田さんと「再会」しました。(立ち聞きでも入れて……という厚かましいお願いに、一家でのセミナー聴講を認めてくれた三宅先生、本当にありがとうございます!)



今日は、三軸修正法の創始者である池上六朗先生、古武術甲野善紀先生、そして独立数学者の森田真生さんの鼎談。

甲野善紀先生の身体運用の実演と最新の解釈、森田さんによる数学「以前」の起源から圏論の登場に至る思想概説……と本当に盛りだくさんの内容。なかでももっとも感動したのは、おふたりの話に共通する「人間が生きるということは、環境のすべてを味方にするということ」という姿勢でした。

「『力学的な矛盾』と言われるほど高速で泳ぐマグロ。そのロボットを作ろうとする過程で、マグロはヒレを使って自分の周囲の水流を作り変え、そのようなスピードが出るようになった。周囲の水を障害物ではなく、すべての環境をリソースとする、それが生き物」という、森田さんの話。

「『身体を割る』とは?」という池上先生の問いに、相手に押さえ込まれる膝を払うという身体運用をしながら、「つまり、これは『いじめ』なんです。相手が押さえ込んできたとき、『全然気にしない』。他のことに夢中(この場合は逆の半身への「凝縮」)になると、相手はしらける」という喩えで、理路を説明する甲野先生。

私のノートの欄外には、「意識させない。身体・脳を解放する」という言葉が、力いっぱいの筆跡で残されています。(そういえばいつも大事なことは欄外だ。前回の開校宣言のときもそうでした)



いま準備しているリベルタ学舎で「教える」のは、「狂言」「イタリア語のオペラ」「こどもが作家である美術制作」「ダンス的な身体運用」「合気道」。
はっきり言って、学校での勉強にはまったく役立ちません。英語や算数など、学校の勉強でアドバンスを与えようとするのが一般的な放課後スクールの傾向であることを考えると、経営者としては正直ゾッとするほど、「まったく役には立ちません」。

でもきっと、それこそが大切なことなのだと、今日あらためて気づき、確信しました。

教えたことをやる、上手にやる。パチパチパチ。でも人間の能力って、そんなに貧しいものではありません。だからおそらく、教えられたことをやるだけでは、つまらなくなり、飽きてくるのだと思います。
それを我慢させる訓練をするのが、いまの学校教育。でも、それは、人間がもつ素晴らしい能力の、ほんの一部でしかないはずです。

合気道のお稽古を通じて学んでいるのですが、咄嗟のとき、人間は、脳が判断するよりもずっと早く正確に、全身で、正しく「生き延びる」ための動作をできます。
そのとき使えるものはすべて使う。環境のすべてを味方につける。すると「火事場の馬鹿力」というように、常識的な力学を超えた力をすら出すことができるんです。



ひとつだけ、私の、小さな、でもたしかな実感をお伝えする話も、紹介させてください。

えっと、私は尋常じゃなく身体が硬いです。忘れもしない中1のときの身体測定で、前屈の記録はマイナス14cm。(ちなみに握力は左右とも平均が5kgで、その中学で「ヤクザ」とあだ名されていた国語教師から「本気でやらんかァ!」と蹴りを入れられました)
なので合気道の準備運動でも、自分の手がプラスマイナスゼロ地点である足の先に届くなんて、夢のまた夢。「これは骨盤の傾け方の問題だろうか? 皮下脂肪が厚過ぎるのだろうか??」などと考えながら、いつもギシギシと音がしそうなほど不格好に運動をしていました。

それが先週、師範の内田樹先生が「足の裏が痒い、と思えばいいんです。腰を伸ばそうとして腰に意識を集中すると、絶対に伸びない。足の裏に用事があるんです」と言った。ほへ、と思って、にゃーん! と足の裏に手を伸ばしたら、なんと指が足先に触れた!
自分の意志や工夫で腰をコントロールしようなんて小賢しいこと考えずに、あえて腰のことは忘れて腰に任せたら、腰は伸びてくれたんです。

忘れてあげる。すると、(脳も含めた)身体は「解放」されて、生き物としてのびのびとその能力を発揮してくれる。足先や畳の肌触りをとても新鮮に感じながら、つくづく実感しました。




リベルタ学舎のワークショップで行う「狂言」も「イタリア語のオペラ」も「合気道」も、「『正解』は自分の中にある美術制作」も、「見たことないような身体運用」も、どれも、こどもだけでなく大人も、既存の知恵や経験が、まったく役に立ちません。
きっと、それを理解しようとするため、脳や身体を総動員するはずです。
そして環境も。たとえば一緒に学ぶお隣のこどもも、競争相手ではなく、「いきなり放り込まれたわけのわからないところでなんとか生き延びるため、力を合わせなきゃならない仲間」になるのではないでしょうか。

そういう「在り方」を、おそらく生き物として当たり前の「力の出し方」を、体験すること。それこそが私たちのワークショップの目的であると、今日、あらためて気がつきました。

「わけのわからないこと」も、身体は引き受けて、(それまでの)自分では思ってもいなかったようなやり方で、対応してくれるはずです。その経験が重なり、自分に深い自信が生まれれば、「新しいこと」をきっと楽しめるようになるでしょう。たとえそれが武道でも、数学でも、物理学でも、音楽でも、育児でも。

そして生き物の時間は、「明日」は、常に「新しいこと」。
自分の身体を信じて進めるならば、「つまらない」なんて思う時間はないはず。
世界はこんなにも広く、深く、私たちはどこでも、なにからでも、学ぶことができます。
そして生き物は、それが好きなはずなんでね。「学ぶ」って、楽しいことのはず。森田さんや甲野先生の目の輝きを見ていれば、それが無条件にわかります。




というわけで、ここにあらためて、開校宣言をいたします。
リベルタ学舎は、こどもと親が「自由」を学び、生きる知恵と力を高める場を目指します。
学校や社会で「すぐ役に立つ」ような、その「効果」が事前にわかる気がするような「学び」は、ここではわざわざしません。
学びの時間がそのまま身体が震えるほどの楽しみであるような、未知の明日を生きるのが楽しみで仕方なくなるような、本気のワークショップをいたします。


さきほど、ウェブサイト用のドメインを取得しました。
近日中に公開予定です。
どうぞどうぞ、お楽しみに!

■ Smile, Everyday! そして念願のアインシュタイン


ご無沙汰していました。またもギックリ腰になったりしていましたが、元気にバタバタと生きてます!
先日、新しいコンテンツが始まりました。einshop(アインショップ)という、とても素敵なセレクトショップのサイト内。タイトルは「湯川カナの笑顔でいこう」、内容は人生相談コラムです。



http://www.einshop.jp/smile_everyday/


einshopといえば…そう、先日ご報告した、NINACOMODA初リアル出店となったイベントの主催者さん。この回のブログにも書きましたが、被災地支援をつうじて仲良くなった岡本篤さんが、einshop義援隊隊長。その縁がどんどん深く楽しくなって、一緒にラジオに出たり薪割りをしたりするうちに、今回の新コンテンツ誕生となりました。

期間は、来年3月まで。よろしければ人生相談に疑問ご質問、ご意見ご感想に空想妄想、なんでもお知らせください。ラテンにまじめにお答えします。なんの役に立つかは、わかりませんが……。いや、できれば、少しでも楽になってもらえるよう、全力で頑張ります。



先月、このための写真撮影をしました。

ヘアメイクは、全幅の信頼を寄せる「哲学する美容師」、芦屋オブリコルール(アンテーヌグループオーナー)の光安清登さん&新進気鋭のスタッフ西田さん。撮影は、そういえば知らないうちに「辺境ラジオ」本でタッグを組んでいた、独立系の気概あるキャメラっ子、宗石佳子さん

当日の様子は、光安さんがブログに書いてくださっていますが、まあ私の慣れないこと。でもそこはさすが凄腕のプロの方々、このおばちゃんをネタに最大限素晴らしい写真をつくってくださいました。


最終的に採用されたのが、この一枚。


ちなみに、オーダーがバストアップだったため採用に至らなかったけど、雰囲気が私らしいと周囲のみんなが思った一枚。


そして、私のリクエストで撮ってもらった一枚。

一度やってみたかったアインシュタイン。(ちゃんとそれ用にヘアメイクしてもらった〜!) カナ感激。なお、舌の先が黒っぽいのは病気ではなく、撮影中にわしわし食べていた宗石カメラマン差し入れの美味しい美味しい人形焼(東京土産)のあんこです。為念。


楽しい楽しい一日でした。やっぱりプロはすごい。というか、プロの中でも、光安オーナーと、宗石カメラマンは、本当に素晴らしい技術とハートをお持ちの方々です。みなさま、「ここぞの一枚」のときには、ぜひ頼んでみてくださいね。

そして、あらためて新連載を、どうぞよろしくお願いいたします! もう一度、リンクはっとこう〜。
http://www.einshop.jp/smile_everyday/

◇ 広々とした沃野、見上げる輝く月


本年度、私は「寺子屋」に通っています。場所は、神戸市住吉の凱風館、内田樹先生の私塾。これが、「リベルタ学舎」のひな形でもあります。今週は、浄土真宗の僧侶・釈徹宗先生を迎えての特別講義「現代霊性論 ビヨンド」の第二回。

鈴木大拙の『日本的霊性』を、釈先生のオールラウンドに浩瀚な知識(本当にすごい!)や個人的な宗教的原風景(涙ものでした)を交えて読み進みながら、大拙が提起した「日本的霊性」がいま現在もつ意味を丁寧に考える、素晴らしい内容です。

その終盤、ハッとしました。ちょうどいま考えていた、「リベルタ学舎」のオラリオ後半の内容。具体的な構想は以下に記しますが、なぜそれらを必要と感じたのか、理由がわかったからです。


「リベルタ学舎」のオラリオの後半は、ワークショップ型の学びの時間です。
学校で、さんざん「自分固有宛てではない授業」「将来のために、いま我慢する授業」を受けているこどもたちです。このワークショップ型の学びの時間(ひとまずスペイン語で「アトリエ/共同作業/ワークショップ」を意味する「タジェール」と呼びます)の内容はその逆。「参加型」で、「その瞬間が楽しめるもの」です。

キーワードは、「他者」。なんだかわからないけど、そう決めていました。
ここに時間軸をとって「過去」と「未来」に伸ばせば、「過去」に「古典芸能(書、狂言など)」、「未来」に「身体運用」。距離を軸にすれば、「内」に「表現(絵画、歌、創作など)、「外」に「外国語」となります。わかりにくいですね。

<イメージ>

        身体運用
          ↑
        (未来)
          ↑
アート←(内)←【他者】→(外)→外国語
          ↓
        (過去)
          ↓
         古典


他者と出会い、他者を信じることのできる強靱さ(優しさでもあります)を涵養するきっかけとなる学び。タジェールが提供したいのは、そんな場です。


扱いにくくなってしまった肥大した自我を、どうしたら良いか。
今週のゼミの終盤にそんな話になったとき、内田先生が「所作や儀礼性になると思うんですよ。身体性に委ねるということ。これって、外国語の習得に似ているんです」と(いう内容のことを)話されました。

武道による「日常とは異なる」(※湯川補)身体運用の習得と、外国語という「日常とは異なる」(※同左)言語運用の習得。これらはいずれも、記号的に運用しているエトノセントリック(自民族中心主義)な文法からの離脱を可能にしてくれます。

身体や言語の「natural=自然な状態」が、変わってしまうのですから。

こうして別の「文脈」に身を置くことで、気づくのは、それまで自分がいかにローカルに縛り付けられていたのかということ。その気づきは、自分を閉じ込めていた狭い檻から自分自身を解き放つきっかけになるはずです。

複眼的な視座の獲得によって、世界は不可知であるという気づきを得、また同時に自分の卑小さを認識する。そこから、世界の奥行きに対する畏敬の念が生まれる……。


あっ、と思いました。
「世界に対する畏敬の念」の次に来るのは、「他者への敬意」であり、「知りません。教えてください」という、学びの起動だと思ったからです。
そしてこれこそが、リベルタ学舎が目指す学びの場としての機能なのです。

なんとなく、キーワードが「他者」だと思った。なんとなく、タジェールの内容を、身体運用、古典、アート、外国語だと思っていた。その理由が、一気につながりました。


現在、お話をさせていただいている「講師」さんたちというのは、これら「身体運用、古典、アート、外国語」の分野の方々です。
自分が知っているすでに「処理済」のことをこどもたちに教えるのではなく、自分もまたそれに魅了されて全身でそれを「生きて」いるマエストロが見ている広々とした沃野を、見上げる輝く月を、その世界の震えるような奥行きを、私たちに垣間見せてくれる、そういうワークショップを提供してくださる方々です。


ところでこのタジェールには、大きな、もうひとつの特徴があります。それは、親も参加可能(にしたい)ということ。
日常で、様々な「コード」の檻に閉じ込められて生きているのは、こどもだけではありません。いや、こどもはまだ、野生(ソバージュ)から生まれ出て間もないぶん、コード「外」のものに触れていきいきとした生を取り戻すのも比較的容易です。問題は大人……ですよね。

いみじくも前回紹介した「ライ麦畑のキャッチャー」お姉さんも書いたように(なんて理想が一致する私たち!)、「子どもにだけでなく、親にとっても、フラットな、外での装備を脱ぎ捨てて、在ることが出来る、第三の場的なもの」が、リベルタ学舎が目指すところです。親だって、(そんな学びなら)学びたい。ですよね?


というわけで、リベルタ学舎のオラリオの骨格をまとめると。

【前半・学童タイム】
 徹底的な信頼のなか、こどもが主体となり、こども同士で学びあい、育ちゆく時間です。親は立ち入り禁止。


【後半・タジェール】
 「世界ってすごい!」を身体性を伴うワークショップで感じる時間。主体はあくまでこどもですが、親も一緒に学べる場。


意外と「親の方ができないこと」も多いはずです。毎日、誰もが最後に帰るのは家。夕餉の食卓で、お風呂で、それまでとは違う種類の朗らかな笑いが生まれることを、私たちは願っています。


Gracias,
湯川カナ

◇ こどもたちは、徹底的に信頼されます。


「お腹が空くのは、時計ですか? それとも、目の前の赤ちゃんですか?」
5年前、そう問いかけるスペインの育児本に出会って強い感銘を受け、これは日本のママたちにも紹介せねばと使命感のようなものに突き動かされて日本語訳から出版まで奔走しました。
どうしてこの本(邦題『うちの子 どうして食べてくれないの?』カルロス・ゴンサレス著)にそれほど惹かれたのか、「リベルタ学舎」を準備するうち、ようやくわかってきました。
キーワードは、「自己決定」です。


オギャーと生まれた赤ちゃんが、母親の腕の中ですやすや眠っている。やがて目を覚まして、フギャーと泣く。「あら、お腹が空いたのかしら?」 おっぱいをあげて終わり……とはなりません、現代。
さすがに「授乳は3時間おき、片方のおっぱいを10分ずつ」なんて眉ツバな「科学的」指導ブームは去ったものの、巷には「赤ちゃんには一日○cc」という推奨があふれ、哺乳瓶には目盛りがつき、「飲み残したけど大丈夫かしら」「飲み過ぎじゃないかしら」と常に悩みが尽きません。
フェーズが離乳食に移っても、「そろそろタンパク質を始めないと」「ニンジンのピューレ、一口は食べてくれないとビタミンが」「ホウレンソウ、やっぱりゴマ和えにしないとバランスが」と、悩みはいよいよ募るばかり。


それはそうです。
「生後すぐの無加工の牛乳・ハチミツ・生エビ」など赤ちゃんの生死にかかわるほんの僅かな禁忌以外に、世界的な合意に達した授乳/離乳食のルールはないのですから。
つまり、授乳・離乳食という「赤ちゃんの食」については、正解なんてほとんどない。
唯一の正解があるとすれば、それは、「目の前の赤ちゃんの食欲にあわせる」ことだけです。どこかの専門家ではなく、目の前の赤ちゃんの生命力を信じ抜き、寄り添う親としての自分の判断力を信じて。


なのにこどもたちは、「もうお腹いっぱい」も、「今日は胃が重くて肉類は受け付けないの」という訴えも、ほとんど聞き入れてもらえません。

食がそうなら、もうひとつの生物としての基本的行為、排泄についても同じです。

生まれて数年間、「しっかり吸収し、逆戻りなしで、肌触りサラサラ」なオムツに無感覚におしっこしてきたのに、急に「もう3歳だからトイレ・トレーニングね」とおまるに座らされ、したくなくても「チー、でるかな?」と促されます。朝起きてまずトイレに、お出かけ前にトイレに、だから公園にはばっちいトイレしかないからおうちでしとこうって言ったのに!


まだことばが出ないこどもたちが全身で抵抗するのが、「強いられる食事」と「強いられる排泄」というのは、育児経験者なら誰もが頷かれるのではないでしょうか。

生き物の基本である食事と排泄を、他人にコントロールされるというのは、やはり相当耐えがたいことなのだと思います。

私たち大人は、仕事の都合にあわせて、朝8時、昼12時、夜6時に食事をします(でも、日曜はその限りではありません。江戸時代は二食でした)。また外出の都合にあわせて、朝家を出る前に排泄をし、昼は状況に合わせて排泄し、夜帰宅してから排泄をします。
テレビで見る限り、刑務所だって、各部屋の中にトイレがあり、出された食事を残しても問題ないようです。ということは、私たちがこどもたちに強いているのは、「それ以上のこと」です。


さらに大きくなれば、遊びの内容から服装に至るまで、大人が先回りして「いいもの」を選びがちです。
いったいどうやってそこから、「健やかな自己肯定感」が生まれるでしょう?


外部評価に基づかない「Self Repect」という意味での自己肯定感を基礎づけるのは、「自己決定」ではないかと感じています。
あの日スペインの育児本が私に訴えてきたのは、おそらく、この「こどもを、とことん信じ抜きなさい。こどもに、自己決定させなさい。こどもの人生は、こどものものです」というメッセージでした。



新しい学びの場、リベルタ学舎のオラリオ(時間)は、大きくふたつのパートにわかれます。

前半(幼稚園・小学校が終わってから午後4時前後まで)は、「学童」のイメージ。

ただし、大人の判断でなにかをさせるのではなく、こどもたちの「自己決定」の時間です。といっても、「それぞれ、好き勝手にやりなさい」でもなく、異年齢のこどもたちが集まるグループで、その日やることを決めます。
一緒にいるチューターのお兄さん・お姉さんは、安全面でのサポートを中心に、「ライ麦畑のキャッチャー」として、こどもたちにかかわってもらいます。

ホールデン・コーフィールド少年は妹のフィービーに「好きなこと」を問われて、自分がやりたいたったひとつの仕事についてこう語る。

「だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、小さな子どもたちがいっぱい集まって何かのゲームをしているところを、僕はいつも思い浮かべちまうんだ。何千人もの子どもたちがいるんだけど、ほかには誰もいない。つまりちゃんとした大人みたいなのは一人もいないんだよ。僕のほかにはね。それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立っているわけさ。で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どっからともなく現れて、その子どもをさっとキャッチするんだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。」
(J・D・サリンジャー、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、村上春樹訳、白水社、2003年、287頁)

内田樹研究室「お掃除するキャッチャー


この難しい役割を中心となって担当してくれるのが、前回ご紹介した新スタッフの「お姉さん」です。

私と同じ内田樹師範のもとで合気道を学ぶ姉弟子(歳は私よりずっと下)で、有段者。明るく柔らかな人柄でみんなに愛され、そしてこどもの教育について非常に強い情熱をお持ちの方です。
卒論はこどもの非行についての論考で、学童保育での指導経験もあり。なにより、「子どもにだけでなく、親にとっても、フラットな、外での装備を脱ぎ捨てて、在ることが出来る、第三の場的なものになれたら」という理想もしっかり一致しています。


学校では一律の時間割のなかで勉強内容からトイレや食事の時間まで決められた時間を過ごすこどもたちが、「仲間と愉快に過ごす」ことだけを約束事として、自分のすることを自己決定していく場。
こどもがお互いに学びあい、育ちゆく、おおらかな時間。
それが、リベルタ学舎の「学童タイム」です。


おやつだって、大人がクッキーを2枚ずつ配るような時間にはしないつもりです。
どこまで状況が許すかわかりませんが、みんなでおにぎりを作ってもいいし、スイカ丸ごと一個を渡してこどもたちにみんなで分けてもらってもいい。あるいは、「今度はお菓子作りをしたい!」とこどもたちが決めれば、私たちスタッフは、全力でその環境を整えます。(もちろん、無理なこともあると思いますが)

散歩やスポーツや読書会、すぐにできることなら、その場で対応します。もしこどもたちの総意で希望があれば、お菓子作りから薪割りまで、できるだけ実現できるようにバックアップします。
その場合も、主役はこどもたち。
ここでは、こどもたちは、徹底的に信頼されます。


こども同士で学びあい、育ちゆく時間のなかで、「大人−こども」の一方的な関係からはなかなか生まれない「他人を思いやる心」「他者と共存するありかた」が自ずと養われていくと、私たちは信じます。



次回は、オラリオ(時間)の後半のお話を。


Gracias,

湯川カナ

◇ とにかく生き延びよ


こんにちは。「リベルタ学舎」、あちこちでエールをいただいています!
そして先週土曜、密かに「こんなひとに、こどもたちと一緒にいてもらえたら……」と願っていた方から、なんと「ずっと興味あったんです、ぜひ一緒に!」とオファーしていただけるという奇跡が。手を握り合って、滂沱滂沱。しかもちょうど4月からスケジュール的にも大丈夫になるそう。
非常に心強いスタッフの参加、ほぼ決定です!

「開校宣言」後、こうして、いろんな方から後押しをいただいています。
今週日曜深夜に放送された「辺境ラジオ」収録時にも、そんなうれしい「後押し」がありました。


「辺境ラジオ」は、MBS放送のラジオ番組。
「知の伝道師・内田樹先生と、愛と癒やしの精神科医名越康文先生と、(「ワタクシ」)毎日放送アナウンサー・西靖(さん)」(以上、番組冒頭の西さんのナレーションより)が、時事ニュースを切り口に、いま私たちが生きる世界の根本のところを愉快に深く語る番組です。

今回の「仲秋の出版記念特別編」、公開収録が今月14日に行われていました。それがもう、実に感動的な内容! 教育とは何か、人間とは何か、いまの私たちが見ないようにしているものは何なのか。

ときに涙目になるほどドライブかかった名越先生と、それに同期してどんどん江戸っ子な語り口になる内田先生が、いつも憎いほど冷静な西さん(でもないか!)の進行で、ドンと奥まで喋ってくれました。


(ちなみに、この日記念された出版は『辺境ラジオ』(発行/140B)という、それまでの放送分にボーナストラックを加えた本。

辺境ラジオ

辺境ラジオ

私はテープ起こしとしてかかわらせていただきました。内容が面白く、紙質も柔らかくて、すごく良い本です!)


放送まではと我慢していたので、今日は収録時のノートを見ながら、嬉々として先を書きます。聞き逃された方は、ポッドキャストをどうぞ。
http://www.mbs1179.com/henkyo/



会場の質問は、まず、政治の話題から。
小泉チルドレン小沢ガールズ→橋下ベイビーズと、「縮小」しながらも「再生産」し続けているのは、「誰かがなんとかしてくれるやろう→あーあ裏切られた!」という、私たち個々人の姿勢。

私たちは、自分の人生に絶えず不満をもっていて(自己否定、自尊感情の欠如)、それは誰かのせいだと思っていること(他罰的志向)を、外の世界に投影しているだけではないだろうか。

……「自尊感情の欠如」!
前々回の記事で書いた「Self Respect」は、やはり大きなキーワードのようです。(なお、この回の記事を読んでくださった石川憲彦先生ご本人から、「respectとesteem、全くその通りだと思います」とお返事が。よかった!)


次に、会場からの質問で多かった、いじめについて。
名越先生が、教育評論家の尾木「ママ」先生との話から、こどもたちの90%以上が、「なんらかのかたちでいじめにかかわったことがある」と回答したアンケートを紹介。

とすると、こどもたちがいま、学校という場所で学ぶいちばん大きなことは、学業そのものではなく、「いじめがある世界のなかで、どうやってサバイバルするかという処世術を、身体に刷り込む」ということではないだろうか……。

他者は怖い。そのなかで生き残るために、誰かをスケープゴートにする、あるいは多数派につくという、保身を身につける。
それは、いまの政治の姿そのものであり、いまの社会そのままの姿ではないか。

私たちはこのような「教育トラウマ」を抱えて、この社会を構成している。
そのことを、少なくとも自覚しましょうよ。「頭に、バッテンつけるとか、ね?」というのが、この日の名越先生の提案でした。


それを受けて、内田先生が、熱く、優しく、語ります。

いま、学校には、いじめがある。
それを、「これが現実だ、世界とはそういうものだ」と思ってしまうと、逃げ場がなくなる。自分への暴力を自分が肯定してしまう、そうして自尊感情が壊れてしまうと、自分が生きることができる世界がなくなる。

「理不尽だ」、と思えばいい。
世界と自分が対峙するとき、「俺は俺」と、自分の方が上位だと思えれば、なんとか生き延びていくことができるから。
とにかく、生き延びよ、と。



収録後の打ち上げで、ひとつ、どうしても訊きたかったことを、おふたりに伺いました。

ちょうどその朝、いじめのニュースを見た5歳のムスメが、「ママ、学校いったら、ぜったいいじめがあるの? ヤだなー」と言っていて、私はどう答えたら良いかわからなかったのです。
「ない(かも)よ」はウソだし、「あるけどがんばれ」というのも違うな、と。


「『みんな、おかしいよ』って闘うんだよ」というのが、内田先生の答えでした。
「みんな」がどれほど圧倒的多数でも、「私は私」。「みんなの方が、おかしいよ」と言える、そうやって自尊感情を手放さないままで、なんとか生き延びる強さが、必要だよね、と。


ああ! そうか! 

学校という閉ざされた場所で、そうやって「みんな」を相手にひとりぼっちで闘うこどもたちに、「そうだよね。だってほら、こういう場所もあるもんね!」と、学校とは異なる価値観を示して力強く後押しをする、そういう場を私は作りたいんだ! 

いじめに代表されるような、「他者は怖い」という感覚が「常識」のようになっている場所に、いまのこどもたちは行かなければならない(とりあえず、みんな)。
そんなところで、こどもが殺されるようなこと(自殺を含めて)は、親として、同じ社会を構成する大人として、ぜったいにイヤだ。

そんなところからこどもたちが一時的にでも逃げ延びてきて、そこで自尊感情を取り戻し、元気になって再び外へと出て行く場所。
再び出て行った「外」の世界で、「他者を恐れる」のではなく、「他者を信じる」という現代ではかなり強度を必要とすることをほがらかにできるような場所。
そういう場を、おそらく、急ぎ作らなければならないんだ!


「リベルタ学舎」を考えるときに妙にもりもり湧いてくるエネルギーや、みなさまからの怒濤の後押し。

すごく不思議でもあったのですが、多くの方がおそらく、いまの教育のありかたについて、おかしい、このままではいけないと、同じように感じられているからではないかと思っています。


「こどもたちのアジールを作りたいんです」とかいつまんで話すと、名越先生も「うん。すごく素敵なことやと思う」と頷き、さらにいくつか「起こりうること」についてのアドバイスもくださいました。

もちろん、通りすがりの立ち話程度なので、名越先生がこのプロジェクトのなにかを保証したりということではありません(石川憲彦先生もそうです、為念)。
ただ、敬愛する専門家の方々にも「良さそう」と思ってもらえていることで、これが、おそらくいま必要とされている「場」のひとつなのだろうという確信を深めています。



で、進捗状況です!

いま、講師をお願いしたい方に打診をしています。すでに多くのプロジェクトを抱えている方ですぐの実現は困難と思われるのですが、ともかくお目にかかって、お話をさせていただくことが決まっています。

同時に、物件探しを進めています。
本当は、既存のコミュニティセンターを利用して始めるのが経営面でずっと楽なのですが、こどもたちの「ホーム」として、学校のあとに集まることができる固定の場所が、できることなら、ぜひ欲しい。

理想は;

グランドフロア(または上階なら開放感あるスペース)で、大人も含めた30人程度がのびのびと身体運用を試すことができる広さ(60m2〜80m2くらい)があり、できれば簡単な土いじりができる庭なんかもあって、凱風館(JR住吉)へのアクセスが良い場所。

予算に限度がありますが、なんとか少しでも理想に近い場所をと、探しているところです。

もしお近くに、平日毎日午後5時くらいまでの利用を認めてくださる場所でお心当たりのところがございましたら、ぜひぜひ hola@kanasol.jp まで、お知らせください。


きっと良いご縁がある、それくらいの奇跡は世界に満ちているぜベイベーと信じて、引き続き準備を進めます!


gracias,

湯川カナ

■ ニナコモダのサンマ。


今年も初サンマを食べました。サンマを食べると、日本に帰国した頃のことを、ありありと思い出します。
生魚を食べる習慣のない外国で10年暮らして日本に戻ってくると、店頭に並ぶ魚たちの、なんと新鮮で美しいこと! ときは9月中旬。ちょうどサンマの出始めでした。アメリカでは「デビルフィッシュ」と忌み嫌われるイカタコも大好きで、あん肝から地中海本マグロのトロまで揃う海の幸豊富なスペインでも、さすがにサンマは見かけません。
Wow ジャパンのサンマ、ハウ・ビューティフル……。それは、本当に感動的な美しさでした。

いつも、帰国したあの日にぐっと引き戻す、「プルーストのマドレーヌ」ならぬ「ニナコモダのサンマ」。う、あまり格好良くないかも。


2009年9月16日、鳩山内閣が発足し民主党政権がスタートした日に、私たち一家は帰国しました。それからちょうど3年。今年の9月16日は、私たちは一家で初挑戦「ニナコモダ・ショップ」の店頭に立っていました。

(なお、学校作りの話でこちらに来てくださった方に説明しますと、ニナコモダは、スペイン帰りの湯川カナ+オット(「社長」)が始めた事業で、現地在住時に惚れ込んだスペインのシームレスキッズインナー「バロネッティ」の日本および近隣地区(←どこまでだ!)総代理店として、小売&卸売をやっております。
http://www.ninacomoda.com/




この日、はじめてとなるリアル店舗を出したのは、神戸ワイナリーで行われたイベント「EINSHOP OUTLET」のなかでした。

EINSHOP(アインショップ)は、神戸・播磨地方に本拠を置くセレクトショップで、コンセプトは「100年経っても色あせない」。オリジナルデザインのものを含め取り扱う雑貨が素敵なものであるのはもちろん、主力商品のビルケンシュトックは他店購入品でも修理を受け付けたり、オンラインショップの配送料は「だって沖縄のひと可哀想でしょ」と全国一律無料だったりという「身銭を切ったあたたかさ」に惚れ込むファンがたくさんいる大好きなお店です。
http://www.einshop.jp/


ちなみにニナコモダの活動のひとつ、被災地「ママ友」支援mamatomoda!は、このEINSHOPの岡本篤「隊長」との縁ではじまったものです。
http://www.mamacomoda.com/mamacomoda/animo.html



というわけで、先週末はEINSHOPのイベントに、ゲスト出店させていただきました!


(当日の様子。私もほとんど接客していたため、写真を撮る暇がありませんでした。楽しかった!)


「シームレスのキッズインナー」なんて、日本にこれしかありません(エヘン)。なので、ともかく触ってみてください、快適さを体験してみてください、というのが、いちばんの目的。オンラインショップではできないことですから。

伝わるかな、とドキドキしていましたが、予想を遥かに上回る方々が、初めて見るパンツを手にとってびよーと伸ばして「すごい! なにこれ気持ち良い!」と驚いてくださり、その場でお子さんに好みの色を確認しながら購入された後、「大人用もないんですか?」と訊いてくださいました。よかった!


ワンピースの下にボクサーパンツを穿いた5歳の娘も、看板娘として大活躍。「こんな風に穿くのもおすすめなんですよ」とハハが言えば、すかさずサッとワンピースをまくりあげ、大きなお腹まで丸出しにして、商品をアピールしてくれました。


帰国してちょうど3年の日に、こうして一家で仲良く商売ができたことを、本当にうれしくありがたく思っています。
EINSHOPさんとは、今後もいろいろとコラボ企画が進む予定です。楽しんでいただけるものに、します!

ニナコモダは、新プロジェクトの学校作りと同時に、「こどものことを本気で考えた商品で、こどもの毎日を、ちょっと楽しく!」というコンセプトでの商品輸入・販売も、元気に進めてまいります。
どうぞよろしくお願いいたします。


さあ、ついに帰国4年目に突入だ!
新鮮なサンマを噛みしめ、気持ちを新たに、また1年やってみます。


それにしても、よかった〜。
「帰国して、ともかく3年、一家3人生き延びる」というのが、帰国前に立てた最大の目標だったんです、実は。
なんとか、みんな生きてるよ〜!!




▽リファレンス

http://www.einshop.jp/mailmagazin/20120920/index.html
(ein mail magazine:「野外アウトレットは超大盛況!みなさまありがとうございました」 2012.9.20)